とはいっても開催日は11月である。時期的に投球するにはかなり寒いときである。
体もなかなか温まらず、日々の練習でも故障をしないように細心の注意が必要であった。
テスト内容は、メジャーらしくピッチャーはブルペンで投球するものが1次審査、ここで残った者が、野手で1次審査を残ったものとの対戦型実践登板ということになっていた。
1次をクリアし、実践登板に向けて準備をしていた。
そのときに一人のスカウトに呼ばれた。
アメリカでアマチュアではあるがプレーしていたという情報を耳にしたらしい。それで、「一番に投げろ」というのである。
言われるままにマウンドに上がって投球練習を始めたが、これが、日本特有のマウンドであった。
日本の球場の多くは黒い土で内野は埋め尽くされているのでマ ウンドも傾斜がゆるく、足を踏み出す位置の土が掘れてしまう。(アメリカの球場のマウンドは土が粘土質で硬く、傾斜がきついのである)
この部分は多少仕方がないとは思いながらも窮屈さを覚えていた。
この当時の変化球の持ち球はスライダーとフォークのみ。
傾斜がゆるいせいか、スライダーが 高めに抜ける。
バッターとの勝負を考えると、これはまずいと思い、フォークのみにするしかないと考えた。
このフォークは落ちることは落ちるのだが、思った 高さで落ちない。
結局主体はストレートということになる。
それでもこの当時はかなりの自信家であったため「この状況でもなんとかなるだろう」と、侮っていた。
そしてバッターがバッターボックスに入り、対戦が始まった。
初球のややアウトコース気味のストレート。
カッ という乾いたバットの快音が響いた。この瞬間ボールはレフトスタンドへ。
初球ホームランである。
まさか と今の状況をワンテンポ遅れてやっと理解することが出来た。
後で分かったのだが、この選手も私と同様にアメリカでプレーしていた選手であったのである。
このときに私は自分の未熟さを思い知ることになる。
どのような状況になっても平静を取り戻し、最小失点に抑え留めておくことが、真のピッチャーである。
しかし、私はこれでこのトライアウトは終わってしまったと思い、とりあえず全力投球をし、スピードをアピールしようと必死に投げたのである。
しかしその様な力んだボールはコントロールできるわけもなく、フォアボールを連発してしまった。
打たれたことに完全に動揺し、それを意識しすぎて、それを挽回するために、間違った方向に向かってしまったのである。
私は自身へのうぬぼれによって、真剣勝負の場面であるにも関わらず、挑むべきでない態度で臨んだのである。
たった一球。
あの一球が違っていれば、全てが変わっていた可能性は十分にあった思う。
そして当然、このトライアウトは落選したのである。
勝負を分ける一球。
今思えば当然のことであるのだが、当時未熟であった私には薬としては苦すぎる経験であった。
大勢の前で恥をかいたという自己嫌悪が、プライドとぶつかっていた。
アメリカでプレーしていたといっても、所詮球が速いだけか、という冷ややかな声も聞こえた。
意地を張ってアメリカに渡った私の心情ごときは、この勝負の場 面では何の影響も与えない、単なる自己満足であるかのように思え、本当に恥ずかしくなった。
と同時に、本当の自分の力を見せ付けることが出来たなら、逆に 勝ち誇ってあざ笑っている側に回っていたのかもしれない、とも反省をした。
この気持ちは、これからの野球人生で何度も味わうこととなる。