この頃は本当に意地が先行し、何が何でもアメリカで野球をしてやるという気持ちで焦っていた。
時期的には高校を卒業した4月(卒業式には出ずに、2月にはアメリカに来ていたため卒業をしたという実感があまりなかった)から、ドラフト候補の大学生を 中心としたアマチュアのチームに参加することとなったのだが、アメリカの大学生のレベルがイマイチ分からなかったので、事前にそのチームを運営しているス ポーツトレーニング施設でトレーニングをする目的で通った。
ここで初めてメジャーリーガーと一緒に練習をすることになる。
当時ボストンレッドソックス所属のショートストップ、ノマー・ガルシアパーラ選手や、フィラデルフィア・フィリーズのパット・バレル選手、フロリダマーリンズのケビン選手、など10人前後のメジャーリーガー達を目の当たりにして、アメリカで野球をしていることを強く実感していた。
本当に彼らは気さくで、写真も一緒に撮ってくれたり、マクドナルドに行くついでに一緒に買ってきてくれたりと、野球以外でも野球が好きな人間には優しく、本当に純粋に野球が好きなんだなあと思うシーンが多かった。
トレーニングの量も、質も、モチベーションの高さも、今思い出してもすごかったなと敬意を表する。
私が始めてアメリカに渡った高校2年の夏に出会ったピッチャーが、ドラフトにかかるということでコーチたちが騒いでいた。
このピッチャーは常時92マイル (148km/h)を投げ、最速96マイル(154.4km/h)にもなるというとんでもない大学生だったのだが、ブルペンで並んで投げるのがイヤになったほど速かったのを覚えている。
マウンドから爆弾でも投げているのかと思うようなキャッチャーミットの音(アメリカ人のキャッチャーは音を鳴らすことが苦手なためなかなか音は鳴らないのであるが)で、こんな球をデッドボールとして喰らったらたまらないだろうなとぞっとした。
このピッチャーはサンディエゴ・パドレスから3位指名されることになるのだが、やはりメジャーリーグ、一緒に練習したメジャーリーガーの中にはクローザーをしていたピッチャーもいたのだが、その大学生よりも更に速かった。
この頃は本当に練習や試合をしていても出会う選手の力に驚き、純粋に野球を楽んでいた最後の時期であった。
周りの選手はみな仲間であり、試合での対戦相手ですら、お互いを刺激し会える仲間だと思えた。
0 件のコメント:
コメントを投稿