特に日本の入団テストは、投手であれ野手であれ、50メートル走と遠投がある。
アメリカのトライアウトではピッチャーはマウンドで投げるのみである。
普段ダッシュはトレーニングとしては行うが、50メートルという距離を全力疾走など はほとんどしないために、そのためだけに50メートルを走る練習をしたのである。
遠投もこの頃はほとんどしておらず、遠投を投げることのできる体をつくる 調整をおこなったのである。
そして満を持して、入団テストの4日前に帰国した。
初めて受けた入団テストでは、ひどく緊張していたのを覚えている。
しかし、アメリカ人選手に囲まれて生活していたせいか、日本人の入団テスト参加者達は当然小さく見え、全然大した事なさそうだな、と正直がっかりしていたのもあった。
遠投、50mは基準以上に達していたため、クリアであったが、2次審査のブルペンでのピッチングでは、球速はそこそこであったが、コントロールが思うよう にいかなかった。
まだ日本に帰ってきて4日ということで時差ボケが残っていたせいもあったと思う。
後日連絡をしますということで、この日は帰った。
そしてこのような感じで他の球団も受けてまわり、後日連絡をくれるというスタイルのところと、その場で合否を伝えられて、別日の最終審査に進むという形の球団もあった。
そのうちの、日本ハムファイターズが最終審査で「2軍の秋季キャンプに参加してみないか」と打診してきた。
しかしこの話もすぐになかったこととなった。
結局この年の入団テストでは、最終審査どまりで結果が残せなかった。
これは時差ボケと、日本にいる間の1ヶ月弱の間、調整とはいえ、本格的に練習をする環境がなかったの もマイナス要因であった。
この時期に何か自分の中で野球に対する意識が変わりつつあったのかもしれない。
野球をすることが純粋に楽しいと思えなくなってきた部分があったように思える。
短い期間ではあるが、日本にいたため、家族や友人、恋人など、野球以外での 生活を共に過ごしてきた仲間がいる。
いわば期待感を肌で感じるのである。
それは時として自分自身へのプレシャーを作り出していた。
1日中 野球が出来る幸せだけでもなんとかなってきたこれまでとは、心境は少しずつ変わってきていた。
仲間に会いたくないとまで思えてきたのである。
この 頃通ったウエイトトレーニング施設でも、面識のない人でも私のことを知っているという人も出てきた。
どこへ行っても自分は「能力があって当たり前」という目でみられているんじゃないかというちょっとした被害妄想癖もこの頃はひどかった。
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